思ったことをつらつらと

音楽とmakeとインターフェイス

音楽というのは人と人とのインターフェイスだと思う。

言語では伝えられない、受け取れない思いを少なからず含んでいて、生活に彩りを与えてくれる。

音楽が人の暮らしと密接に関わり続けているのはそんなとこだと思う。

思えば、自分は音楽に助けられてきたと思う。

小学校の頃に行っていたピアノの教育は、自分の感性や発達を向上させ、中学高校の時代は不安な自分の気持ちや他社の視点を歌詞を通して俯瞰して見ることができた。大学時代にはギターを持ち、自分の感情を楽器に乗せる・表現するという経験得た。また、楽器という音楽とのインターフェイスを通して、音楽への理解も深まった。そして、それを通じた他社とのコミュニケーションを行ってきた。

この頃から、音楽機材を自作するようになりそのときに得た知識で就職活動もそこそこ成功したように思う。

技術への理解や、自分でモノを作るという経験もした。

 

かなりの部分で音楽が自分の人生に影響を与えているように思う。では、なぜここまで自分は音楽にのめり込むのだろうか。音楽のどんな要素が自分を動かしているのだろうか。

そんなことに疑問を持った。

いくつか要素を上げるとするならば、

・音楽経験を通した知育

・音楽を通したコミュニケーション

・音楽が与える心理学的影響

 

この辺りを、自分が持っている技術力で明らかにするような研究をするべきではないか。それはなんだ、深堀しなければ…、、、

 

コンピューターと人間と

テクノロジーについて考えることがある。

この数十年、数百年の間にテクノロジーは大いに発展してきた。自分の生きている時代はまさにコンピューターの時代だし、これからはコンピューターがより人間と同一化し膨大な情報を解析し人間にフィードバックを送る。このループがより頻繁に、より高精度に、より効果的に行われるのだろう。

その時の家電製品のあり方について考えてみる。機能面で言えば情報は家の中でシームレスにやり取りが行われるし、各家電はタッチポイントとしての役割を果たすだろう。

機器単体で閉じた家電は少なくなり、家庭内の機器間で相互に情報をやり取りすることによって新しい価値をユーザーに届けることができる。

従来家電として認識されていなかった家具や雑貨もIoT化することで何らかの役割が付与されることになるだろう。

 

また、このときの考え方だが、

今の時代は情報過多だと言われている。

江戸時代の人間が30年を通して得る情報を一日で現代人は得ていると言ってた人がいる。

確かに、情報過多だ、そしてこれの真の問題は質の低い情報が蔓延していることだと思う。

垂れ流しにされたクソみたいな情報を整理してやらないと役に立つデータとならない。これは、かなりの負担を強いる作業だ。

IoT時代の家電は、この問題を先ず説いていくべきだと思う。できるだけ、ユーザーへの負担をなくすために情報のキュレーションを行う。ユーザーに負担をかけてデータを取得するならば、それに合った価値を提供する。

 

 

不安


今時分は将来に不安を抱えている
今の仕事をどこまでつづけるか、将来どう有りたいか
メーカーで働き始めてもうすぐ3年になる

結論から言うと、今の職場でこのまま業務を続けていくのは自分のキャリアパスと合致しないと考える。

その理由として、当初の自分はメーカーのオーディオ分野への配属を希望していた。これは、学生時代に音楽機材を自作していた経験や趣味で行っている音楽活動を通して、音への興味が深まっていたためだ。この頃は、自分が思う良い音を追求する、音が人にもたらす効果というものに興味があった。そして、研究活動よりもいち早くものづくりに関わり、一般ユーザーに届くものを自分の手で創り出すことに熱意を持っていた。

しかし、配属先は自分の希望とは大きく違ったものであったわけだが、希望して就いたメーカーの仕事であったし、社会人として得られることは多いし、何より早々に辞めては経歴にバツがつくと思っていたためしばらく頑張ってみることにした。

入社して少しのこと、新たなプロジェクトの立ち上げ時に手を上げた。それは、自分が希望していたことができるような気がした。ものを作って量産する。新しい製品を顧客に届ける。技術者としてのスキルアップや経験を得ることができると思った。結果として、求められていたのは技術者としてのスキルと企画職的な働きの両方であり、この企画職的な仕事が上手くできなかった。具体的に言うと、他社を巻き込んでアイデア出しや、コンセプト設定、プレゼンテーション、などのあれこれだ。

少し疲れてしまった。入社時から蓄えていた熱意が吐き出ていくのを感じた。このプロジェクトが終わり今の自分は現実逃避ばかり行っている。

自分の道筋を定めなければならない。また、そのために行動しなければならない。具体と抽象のバランスを保ち突き進むべきである。